侍と私

  • 2010.03.07 Sunday
  • 11:33
東京は啓蟄を過ぎても寒い日が続きますが、みなさま風邪などひかれていませんでしょうか?
古写真ブログ担当の三井です。
さて、本日は5月15日から開催予定の「侍と私」について。
東京都写真美術館のコレクションを中心としながら、明確なテーマを設定して行う展覧会。今回のテーマはポートレイトです。
しかも、単身像だけを取り上げます。
ポートレイトは本来、西洋のものです。西洋の肖像画の長い歴史から派生したのが肖像写真であることに異論はないでしょう。このように考えて、ポートレイトから初期写真を考えてみようと企画しました。

1839(天保10)年、フランスで誕生した最初の実用的写真方式ダゲレオタイプは、瞬く間に欧米社会へ広がった。1859(安政6)年の開国を皮切りに、この技術は日本へ本格的に渡る。少なくとも1861(文久元)年には日本人で写真師として営業した人物がいた。翌年には長崎の上野彦馬、横浜の下岡蓮杖が開業し、多くの弟子を育てていくことになる。彼らは皆、ポートレイトからその仕事をスタートしている。明治政府樹立へ向かう動乱期、侍たちは明日をも知れない我が身を家のために、あるいは妻子のために残そうと写場へ足を向けたのである。1872(明治5)年には、岩倉使節の求めに応じるかたちで今上天皇であった明治天皇と皇后の肖像写真が制作される。これは政府諸施設や高級官僚、諸外国の使節などに配布され、度重なる規制にもかかわらず複写写真が販売されたのである。このように日本のポートレイトは写真渡来と共に出発し、私から公へと引き上げられるように広がっていった。
これに対して、西洋では長く肖像画の伝統があった。しかし、これらは一握りの王侯貴族に許されたものである。1715(正徳5)年に始まるルイ15世時代の財務大臣であったエティエンヌ・ド・シルエットが切り絵による単純化された肖像画を好み、この流行によって肖像画に廉価な方向性が生まれる。さらに人物の影をトレースするフィジオノトラースが18世紀末にうまれた。19世紀中葉に生まれた写真は発表された当初は感度が低いためポートレイトの撮影は難しかったが、直後から改良発明が熱を帯び、感度が飛躍的に上昇した。これにより、肖像はブルジョアジーに開放され、多くの人々が自らの肖像を手にしようと写真館へ向かったのである。
このような写真館のひとつにパリ・キャプシーヌ通りにあるナダール・スタジオがある。1862(文久元)年および1864(元治元)年、このスタジオに日本人が訪れた。遣欧使節の面々である。ナダールは19世紀を代表する肖像写真家であり、スタジオはサロンの様相を呈していたという。侍たちはナポレオンからの要請でこの写真館を訪れた。
これを遡ること10年、1854(嘉永7)年に同じパリのディスデリが、カメラに複数のレンズを装着し、原板の一部分の露光を繰り返すことで一枚の原板に複数の画像を定着する方法を考案した。この名刺判の普及によって、ポートレイトはさらに裾野を広げることになり、民衆は自らの肖像を手にしたのである。日本では、このような紙の写真のほか、ガラスを支持体としたガラス生取り写真(アンブロタイプ)が桐箱に入れられる体裁で広く普及し、明治20年代になるとコロタイプを中心とする写真印刷も広がりを見せる。これによって写真画像はさらに複数の人々の手に渡るようになり、元勲や志士といった時代のヒーローだけでなく、芸妓などのアイドルがポートレイトを媒介として定着するようになるのである。

といった具合。
江戸の文化に流入したポートレイト、伝統に則った西洋のポートレイト、西洋へ赴いた侍たちが現地で撮したポートレイト、そして技術革新によってマス化する流れ。
東京都写真美術館の収蔵作品を中心にオリジナルの写真から19世紀の息づかいを感じていただける構成にしたいと、現在鋭意準備中です。
ご期待ください。

さてさて、しばらくぶりのおいしいもの情報。
本日はちょっと郊外へお散歩、ヌーベルシノワ(フレンチ系の新しい中華料理?)のお店。国立インターから車で少し。前は団地で大通りに面しているわけでもなく、お店はとても小体。厨房がしっかり見えて席数も少ないのですが、休日とはいえ午後をずいぶん過ぎた時間にもかかわらず満席。ぎりぎりで待たずに入れた感じでした。

さっぱりおいしかった梅レタスチャーハン


絶品!ハチノスの煮込み

ご近所の方も多いのでしょうか、キッズもたくさん来店していました。ドアを開けるキッズに「あぶないよ!気をつけて!」とフライパンを振りながらも声をかけるシェフにぐっときました。

追伸:去る1月9日(土)函館圏文化芸術活用事業「文化と編纂」(PCサイト)にお招きいただき、名だたる方に混じってお話しさせて戴く機会を得ました。

当日は、雪がちらつく中にもかかわらず、多くの方にご来場いただきました。
この日のメインは、時代小説家の宇江佐真理さん。
とてもキュートな方で、いきなりファンになってしまいました。
以来、気がつけば20冊を超える勢いで宇江佐さんご本を拝読しています。平明で地に足のついた文体と調査の行き届いた考証、そして、なによりも人の情を本当に大切にされているのがよくわかります。江戸の人々の生活を身近に感じられる心の清涼剤。宇江佐文学、おすすめです。


香川県調査

  • 2010.01.05 Tuesday
  • 12:54
こんにちは、古写真ブログ担当の三井です。

予告予告、でなかなかできなかった四国・九州・沖縄編調査報告第一弾。
今回こそは、平成23年3月より開催予定の第三回開拓史展の初回調査で平成21年10月に訪れました香川県のお話です。

たまには学芸員らしく、改まって今回の目的をまずご説明します。
この展覧会は、四国・九州・沖縄を調査地域とする展覧会です。公立に限らず、公開機関を持つ組織(美術館、博物館、文書館、資料館、図書館など)やこれらと関わりの深い教育委員会や大学へ古写真に関わるアンケートをお願いし、お答えいただいた内容に沿って調査をさせていただいて、この成果を展覧会としてまとめるものです。このアンケートは11月にお送りしたものなので、香川県はちょっとフライングです。
というのも、以前からさまざまなご協力をいただいていた香川県教育委員会の方がご尽力くださり、今回の調査にも一方ならぬご助力をいただきました。このため、県内の所蔵情報をいち早く知ることができ、早期に調査へうかがうことができた!というわけです。

今回ご報告するのは、塩飽諸島の本島に位置する塩飽勤番所。
こちらには、遣米使節に同行した咸臨丸の乗組員が持ち帰ったアンブロタイプが2点収蔵されています。こちらの調査には教育委員会の方のほか、日本大学芸術学部写真学科の助教でいらっしゃる田中先生も同行されました。


若干雨がぱらつく中、丸亀からフェリーでいざ本島へ。
それにしても、瀬戸大橋ってすごいですね。人が力を合わせると、何でもできるんじゃないか?って思えてしまいます。


史跡が多く、美しい島です。


いざ勤番所へ!

調査させていただきましたのは、制作者不詳《向井仁助像》とウィリアム・シュー《松尾延次郎像》の二点で、ともにアンブロタイプで万延元(1860)年に咸臨丸で渡米した像主が、サンフランシスコで制作を依頼した写真です。


制作者不詳《向井仁助像》


ウィリアム・シュー《松尾延次郎像》

ともに調査時の写真なので、写り込みなどのお見苦しい点はご容赦くださいませ。

制作者不詳《向井仁助像》は蓋(あるいは表紙)の部分が欠損していますが、画像はとても堅牢で頬や刀の柄部分に着彩がしっかりとあります。ケースがすべて残っていないとはいえ、この点をのぞけばとても良いコンディションです。
ウィリアム・シュー・スタジオ記載が入ったオーバルフレームが使われている《松尾延次郎像》は、分解されたらしい痕跡があり、画像が見えにくい状態にありますが、蓋(あるいは表紙)部分がしっかりと残されています。本来であれば、乳剤面が箱の内側にあるはずなのですが、現在、この作品は乳剤面が露出している状態にあります。分解されたあとがあることからも、何らかの理由で分解され、本来ではない状態で組み立てられてしまった可能性が高いと考えられます。

いずれにしても、万延元年制作のアンブロタイプ!です。
貴重な写真作品であることには、何の異論もないでしょう。


今回の香川県調査では、こちらのほかに、香川県立ミュージアム、多度津町立資料館、丸亀市立資料館、東かがわ市歴史民俗資料館などへおうかがいし、作品調査をさせていただきました。所蔵館の皆様、ご協力まことにありがとうございました。
また、本当にお世話になった香川県教育委員会さまには、足を向けて眠れません。
衷心より感謝いたします。


[古写真所蔵アンケート]集計!

  • 2008.09.16 Tuesday
  • 11:48
比較的早めの更新、されど古写真の話題としては途轍もなくお久しぶりの古写真ブログ。
担当の三井です。
古写真屋のゼラチン・シルバー・プリント・シンドローム(最近はさらに液晶でした)というかなんといいいますか。。。本当に古写真のお話が長い間できていなかったなぁ。。。

美術館学芸員の仕事というのは、決して自分の受け持っている展覧会の準備だけでなく、いろんなことが並列均等同一比重で存在するのです。
またね、僕自身も美術館の業務だっていうだけで十分に全部好きだったりして、正直がんばっちゃんたりするんですよ。
これがまた。。。

などと、遅々としてご報告できなかった言い訳をしていてもなんですし、だからといって、ご報告が遅くなったのは事実ですし、仕方がないですものね。。。
反省反省。
・・・と、落ちている場合でもなく、
とにかく、現状の進捗のご報告させていただきます。

実は先月の中旬に正式書類と共に、[古写真所蔵アンケート]を中部・関西・中国地方の美術館・博物館・文書館・図書館・大学図書館・教育委員会など1890箇所の諸機関へご送付させて戴いておりました。そして、今月の初旬に、一応の締め切りを設けさせて戴いていたのです。
今回はこの集計結果をご報告。

まず何よりもうれしいのが、ご返送戴いた数がものすごく多いこと!
この数が多いんです!
すごいです!
本当にありがたいです。
先週の段階でお返事を戴いた総数が、なんと837通でした。
約半数!

以下はその内訳です。
明治28年以前の古写真を収蔵している。   114通
明治28年以前の古写真を収蔵していない。  698通
収蔵はしていないが、情報を提供します。    25通

一昨年の調査の際は、1429館へご送付し、540館からご返事を戴いておりましたから(このときだって、1/3強ですから、十分すごいのです!)、さらに飛躍的にご返事を戴く比率が高くなっています。
本当にありがたいです。
特に、収蔵がない場合、なかなかご返事を戴くのが難しいかなぁと感じていただけに、これだけ頂戴できると、ちょっと感動です。もちろん、収蔵ありでご連絡戴いたことの感動はさらにひとしおです。
そして、内容的にもすごい期待感が!
頂戴したお返事の中に、「ジョン万次郎(彼は商業というと難しいけれど、日本人初のカメラマンといってもいい人です)が撮った写真あります!」をはじめとして、僕がまったく未見の作品や写真師に関する資料も多くいただいているのです。
かなり期待できちゃいます。
\(^^)/

それにしても本当に皆様のご協力があってはじめて、この調査プロジェクトが成立するんだということを改めて実感致しました。収蔵されていなくてもご協力くださった皆様、まずはこの場を借りて御礼を申し上げます。
誠にありがとうございます。



これから、現地へご連絡してご調整をさせて戴き、実際に古写真を巡る冒険!の旅が始まります。
進捗、速報、これからはガンガンいきますよ!
ご期待ください!
(もちろん、古写真以外の情報やおいしい物情報も続けます。^^)

「人々が写真と出会った時代」展

  • 2007.12.21 Friday
  • 00:02
再び不定期更新にカムバックの古写真ブログ。
担当の三井です。
ご無沙汰しております。
ただいま、12/22から始まる「スティル/アライヴ」会場設営の真っ最中です。かなり面白い展覧会に仕上がっていますので、古写真展ではありませんが、一見の価値ありです。
お楽しみに。

さて、古写真の展覧会。
今日は当館で開催しているものではありませんが、ひとつ絶対にオススメの展覧会が開催されているのでご紹介します。
「横浜市所蔵カメラ・写真コレクション2007 人々が写真と出会った時代」展というもので、開催されているのは横浜市民ギャラリーあざみ野です(http://www.yaf.or.jp/azamino/)。また、こちらで関連事業として開催された「写真古典技法制作公開 ダゲレオタイプ制作」にも参加してまいりましたので、こちらのご報告も少々。

まずは、展覧会から。
とにかくダゲレオタイプ、ティンタイプといった19世紀のアメリカを中心とした写真が物量で迫ります。
まず、この展覧会の母胎である「横浜市所蔵カメラ・写真コレクション」というのがすごいのです。
「横浜は、日本における写真発祥の地の一つとして、近代日本の写真映像文化の歴史に大きく貢献したと言われています。横浜市では、こうした歴史を踏まえ、映像文化都市づくりを進めるため、アメリカのサーマン・F・ネイラー氏が40年にわたって世界各地から収集したカメラ約2,700件、写真関連アクセサリー 約2,000点、写真 約2,900件、資料及び文献 約2,000件のコレクションを平成5・6年度に取得しました。このコレクションは、世界のカメラと写真の歴史が総合的にたどれるものとして高く評価されています。本展では、その中から、ヨーロッパ、アメリカの19世紀の写真を中心に展示いたします。」(横浜市民ギャラリーあざみ野のホームページより抜粋)
約1万点のコレクションです。
中でも今回は、先にも述べたように、19世紀のアメリカン・ダゲレオタイプ/ティンタイプが目白押しで出品されています。日本の初期写真がアンブロタイプを中心としていることに特徴があるのとは違い、アメリカのそれは、金属板写真です。
これを実感するには、数点の傑作を観たのではわからない。実際に溢れんばかりの数がなくてはいけません。この展覧会にはそれがあります。
すごいです。
もちろん、傑作も出ているのですが、それよりもなによりも「数で押す感じ」これが気持ちいいんです(すみません、ちょっと興奮気味です)。
是非ご覧ください。
ただ、惜しむべきは展覧会会期。短い!何しろ、12月12日から始まったばかりなのに、12月23日(日・振)には終了してしまいます。12日間。今日から残すところ、あと三日!
短すぎますって。

などと云ってはいけません、それぞれご事情もおありのことでしょう。
もとより、あと三日になって、ご報告しているボクの粗忽さもありますが、そちらにもついでに目を瞑って戴きましょう。

ならば。
ならば、皆様ここはこちらの都合をがっつり繰り合わせて伺うしかありません。
このブログにご興味を持ってご覧くださっている方には、決して損はない展覧会です。その上、なんと無料です。太っ腹です横浜市。
ぜひ19’sアメリカン・フォトグラフィのパワーをご堪能ください。

さて、「写真古典技法制作公開 ダゲレオタイプ制作」は、去る12/16の10:00から開催されました。写真家・新井卓氏による制作公開。「新井卓は、写真史上最初期の技法、ダゲレオタイプ(銀板写真)を用い、現代の視点を通して制作を行っている写真家」(横浜美術館のアーティストインミュージアムhttp://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2006/artgallery/01_AIM/)より抜粋)


スピグラ(4x5カメラ)でダゲレオタイプ撮影の準備をする新井氏

ダゲレオタイプというと気化した水銀を使用する必要があるため、僕自身もワークショップにできたらいいなぁと思いながら、二の足を踏んでいました。(水銀は有毒なため、手が出しにくいのです。)しかし、今回の新井氏の方法は水銀を使わない!これはすごいです。1840年に発表されたダゲレオタイプの増感法を応用したもので、最終的に金調色を行うことによって、しっかりと色を出します。方式そのものも、とても興味深いですが、実際に自分がダゲレオタイプに映るという体験も、かなり盛り上がるものでした。

定着中のダゲレオタイプ



さて、恒例の美味しいもの情報。
16日は、あざみ野駅ロータリー向かいのビルにあるパスタ屋さんで昼食を戴きました。


「きのこクリームパスタ」

美味しかった。
お店に入ってしまうとグラッパが置いてあったりしてオシャレなのですが、ビルそのものの佇まいが、鄙びているというか渋味があったので正直、期待していなかった。
期待を飛び越えるおいしさというのは、嬉しいものです。

パノラマ写真

  • 2007.11.29 Thursday
  • 18:22
なんと、翌々日に更新するという快挙、躍進中の古写真ブログです。
さて、予告どおり、ちょっとまじめな古写真のお話をと思っていましたが、スティル|アライヴ展にも関わって、パノラマ写真のお話をしようと思います。
みなさまは、パノラマ写真というと、どのような写真を思い浮かべるでしょうか。そもそもパノラマとは全景あるいは展望を指す言葉(三省堂「大辞林 第二版」より)で、panoすべて+honorama眺めというラテン語を合成して作った造語です。手元にある1898年発行の“Encyclopaedic dictionary of Photography”には、一点からぐるっとまわして撮影する方法や、乾板のパノラマカメラの図などが掲載されています。ちなみに、これによるとパノラマカメラは1848年にフランスで作られたそうです(当然、このときの写真の技法はダゲレオタイプ!)。
つまり、写真発明初期からワイド・ヴューを求める欲求があり、これに導かれた写真たちがパノラマ写真だと、ザックリ言えばそうなるように思います。
ただ、なんというか、パノラマ写真というのはとても不思議なもののように思えてならないのです。
とくに、古写真で考えると特に不思議感が高まる。
最近、特に「古写真における撮影者と被写体と鑑賞者の関係」というのが気になっているのですが、少なくとも19世紀の日本で考えると、写真は基本的に「被写体」を見るものであって、「写真そのもの」を見るというのは極めて特殊だったように思うのです。そうやって、ちょっとカテゴリー分けをすると、「人物」「風俗」「景観」というのが被写体の三要素になるように思う。
人物写真は、肖像や集合写真を指します。
風俗写真は、その大半に人物か景観が併置しているものだけれど、制作意図としては人や場所よりも、もう少し抽象的な「風俗」というものを見せようとしているし、受け取る側も、誰が写っているのか?何処なのか?よりも、どんな服装か?何をしているか?どんな場所なのか?の方に視線が行く。
景観写真は、景色や情景を捉えたもので場所がどこか?が重要になる。
でも、どうもそれだけではないように思うものがあります。それが、下の写真。

内田九一《長崎パノラマ》明治4年
確かに、長崎の港やそこに浮かぶ船(お召艦「龍驤」)や製鉄所などが写っていて、この写真が持つ天皇の西国巡幸を記録するという性格は十分に満たすもの。でも、それにも増して、手前に和服の人物を配し、大きく松の木を中央にすえた構図(コンポジション)に眼が行かないでしょうか。
構図。
これは被写体ではないですよね。あくまで写真という創作物が持つ要素であって、構図を見るということは、写真そのものを見るということに他ならないと思うのです。景観写真の一部である「風景写真」は、「古写真=被写体を見るもの」という構図を覆すように思えてならなくなってきたのです。

しかし。
しかし、風景写真においてパノラマはというのはさらに複雑な構造になっているようにも思えます。
ここで、現代の作品を見てみましょう。


屋代敏博《回転回Live! 東北芸術工科大学》2007年

やはりこの写真も、やや中央をはずしたとんがり屋根の校舎から導かれる三角の構図が目立ちます。でも、画面中央右側を見ると、分かりにくいけれど、少し高い位置に赤い人物の存在が見えます。実はこの人物、屋代氏本人なのです。ちょっと高いところにおいて、特撮ヒーローぽい感じというか。
つまり、制作者自身が、全体を構図的に鑑賞するだけでなく、詳細に見据えることを前提にしていると思います。
つまり、下のような図式なのかなと考えました。

19世紀の写真において、景観を捉えた写真という枠組みを考えると、その中に風景写真という、構図を重視した被写体を見るだけではない写真の存在がある。
でも、これらに内在する写真の中で「パノラマ」という形式を使って制作を行った写真の場合、「被写体を見る」ということも「構図を見る」こともどちらもイーブンに可能な写真になる。

「古写真を構造的に概観できないだろうか?」
なんて蛮勇なことを考えていたら、こんなところにたどり着いた。・・・そんな感じです。

ちょっと、知恵熱が出てきそうな感じなので、今日はこのあたりで。


恒例の美味しいもの情報。
今日はふたたび恵比寿。当写真美術館は、恵比寿ガーデンプレイスの中にあります。勢い、僕たち職員はガーデンプレイスの中で昼食をとることが多いのです。(コンビニのお弁当で済ましてしまうことも少なくないのですが・・・)そこで今回は、地下の焼鳥屋さんの「むぎとろ定食」。
でも、智恵熱のせいか、写真がぶれてしまいアップできませんでした。
どうかご容赦を。
とってもボリュームもあり、美味しいです。こちらは「高菜わっぱ飯」や、もちろん「焼き鳥定食」、そして、いまの季節は「かきフライ定食」などもあって、バラエティも豊富でおすすめです。

古写真研究国際コンファレンス@長崎大学

  • 2007.11.21 Wednesday
  • 13:11

いきなり、僕の撮った稚拙な写真からですみません。鍋冠山頂上(長崎のグラバー園の上を登っていくと現れる展望台)からのパノラマ写真で、カメラの向きを変えながら撮影した写真を繋いだものです。

先日お伝えしたとおり、長崎へ行ってきました。
古写真の上ではF.ベアトや上野彦馬の写真などで、とてもおなじみの場所なのですが、訪れるのはほとんど初めてでした。時として、幕末や明治の風景を日ごろ見ている場所に、現在訪れるとがっかりする事もあるのも事実です。でも、長崎は違う。もちろん、古写真の中の長崎に比べて、高層建築を含んだ建物の数が飛躍的に増えていたり、街の対岸に位置する造船所には巨大なタンカーが停泊していたりと、状況は大きく異なります。でも、アップダウンの多い複雑な地形と海を抱いた街の構造は、東京で生まれ育った僕には本当に新鮮でした。お気に入りの場所になりそうです。
さて、11月16日〜17日の二日間、内外の研究者を迎えて古写真に関する研究発表(古写真研究国際コンファレンス)とそれを総括する形で国際シンポジウムが行われました。そして、僕もその末席を汚させていただいたという次第。
招聘されていたのは、日本写真協会国際賞を今年受賞されたテリー・ベネット氏(英・古写真研究家)をはじめ、ヘルマン・ムースハルト氏(蘭・古写真研究家)、セバスチャン・ドブソン氏(英・古写真研究家)、ルーク・ガートラン氏(英・セントアンドリュース大学)、ブライアン・バークガフニ氏(長崎総合科学大学)、小佐野重利氏(東京大学)、高橋則英氏(日本大学)、三原文氏(大阪大谷大学)、齊藤多喜夫氏(横浜都市発展記念館)、倉持基氏(東京大学)そして、当館の金子隆一氏と僕。長崎大学からは全体のオーガナイズをされている姫野順一氏と若木太一氏が発表をされました。(敬称は氏に統一させていただきました)
日頃、尊敬している人々に囲まれて、自分の発表で緊張するやら冷や汗をかくやら、ほかの方のしっかりした調査に裏付けされた緻密な発表に感銘を受けるやらで、てんやわんやの16日でした。

僕の内容としては、当館所蔵の《長崎パノラマ》という写真についてのもので、この作品の制作時期をある程度特定した上で、内田九一のパノラマ写真と比較しました。ともに長崎を撮影したパノラマですが、一方は測量の延長線上に位置するもの(この写真見る人の興味は長崎という場所に向く)であり、一方はそれ(パノラマ写真自体)を眺めて楽しむもの。明治初期までに制作された同じ土地を撮影して制作されたものでありながら、性格が大きく異なる。前者のパノラマが存在することを証明する方法として、1860年に長崎の英領事であったジョージ・モリソンが英総領事オールコックに向けて送った手紙を例として挙げ....

って、いくら古写真ブログとは言え、このお話をガッツリはじめるというのもなんですし、今回の研究発表内容については長崎大学からまとめたものを出版する予定ですので、興味のある方はもう少しおまちください。また、パノラマについての考察は、次回の当館研究紀要に執筆いたしますので、さらにガッツリ僕の考察をお知りになりたい奇特な方は、こちらをお待ち下さいますようお願いします。鋭意執筆中です。(現在、当館HPで研究紀要No.6を公開中!)
さて、17日の午前まで研究発表が行われ、午後からは会場を中部(なかべ)講堂に移して国際シンポジウム。
「古写真にみる世界史の中の長崎」と題されて、実に盛り沢山な内容。なんと上野彦馬、内田九一、富重利平という写真創成期を代表する三名の写真師の御子孫がご対面。それぞれショートスピーチの後、握手撮影をする場面も!テレビカメラが入っていましたし、フラッシュの嵐でした。(タイミングを逸して撮影できず。どうかご容赦下さい)そして、テリー・ベネット氏、セバスチャン・ドブソン氏による基調講演の後、パネルディスカッション、図書館長による「古写真研究長崎宣言」がなされて閉幕。
 
こちらはパネルディスカッションでの一コマ。

それにしても、本当に有意義な時間でした。同じ古写真から色々な考え方が引き出せたり、アプローチの違いによって様々な結論が導き出せたりと、考えること仕切でした。そして、現場を見るというのも本当に大切だという事も実感。まだまだ解らないことや努力不足な部分が多いことも自覚しましたが、その分がんばれることも多いかなと。
お呼び下さった長崎大学に、本当に感謝です。



さて、恒例の美味しいもの。
もちろん今回は長崎の情報です。

こちらは皆様ご存じトルコライス。長崎大学のすぐお向かいにあるお店でいただきました。ナポリタンとピラフ、とんかつ(デミグラスソース)、そしてサラダの組合せ。かなりなガテン料理です。おいしかった。16日の昼食にいただいたので、パワー全開で発表に望めました。

そして、今日はスペシャルでもう一つ。
長崎と言えば、ちゃんぽんでしょう!

ちょっと甘めのとんこつスープに白菜、もやし、ニラ、豚肉、かまぼこなどの具がてんこ盛り。
料理が出た途端、卓にいた全員が無言になって黙々と食べてしまうくらい、ものすごく美味しかった。
連れて行って下さった現地の方いわく、「ここのお店がベンチマークですよ」とのこと。ということはこれよりも美味しいお店もあるという・・・。興味は尽きません、長崎。

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