侍と私
- 2010.03.07 Sunday
- 11:33
東京は啓蟄を過ぎても寒い日が続きますが、みなさま風邪などひかれていませんでしょうか?
古写真ブログ担当の三井です。
さて、本日は5月15日から開催予定の「侍と私」について。
東京都写真美術館のコレクションを中心としながら、明確なテーマを設定して行う展覧会。今回のテーマはポートレイトです。
しかも、単身像だけを取り上げます。
ポートレイトは本来、西洋のものです。西洋の肖像画の長い歴史から派生したのが肖像写真であることに異論はないでしょう。このように考えて、ポートレイトから初期写真を考えてみようと企画しました。
1839(天保10)年、フランスで誕生した最初の実用的写真方式ダゲレオタイプは、瞬く間に欧米社会へ広がった。1859(安政6)年の開国を皮切りに、この技術は日本へ本格的に渡る。少なくとも1861(文久元)年には日本人で写真師として営業した人物がいた。翌年には長崎の上野彦馬、横浜の下岡蓮杖が開業し、多くの弟子を育てていくことになる。彼らは皆、ポートレイトからその仕事をスタートしている。明治政府樹立へ向かう動乱期、侍たちは明日をも知れない我が身を家のために、あるいは妻子のために残そうと写場へ足を向けたのである。1872(明治5)年には、岩倉使節の求めに応じるかたちで今上天皇であった明治天皇と皇后の肖像写真が制作される。これは政府諸施設や高級官僚、諸外国の使節などに配布され、度重なる規制にもかかわらず複写写真が販売されたのである。このように日本のポートレイトは写真渡来と共に出発し、私から公へと引き上げられるように広がっていった。
これに対して、西洋では長く肖像画の伝統があった。しかし、これらは一握りの王侯貴族に許されたものである。1715(正徳5)年に始まるルイ15世時代の財務大臣であったエティエンヌ・ド・シルエットが切り絵による単純化された肖像画を好み、この流行によって肖像画に廉価な方向性が生まれる。さらに人物の影をトレースするフィジオノトラースが18世紀末にうまれた。19世紀中葉に生まれた写真は発表された当初は感度が低いためポートレイトの撮影は難しかったが、直後から改良発明が熱を帯び、感度が飛躍的に上昇した。これにより、肖像はブルジョアジーに開放され、多くの人々が自らの肖像を手にしようと写真館へ向かったのである。
このような写真館のひとつにパリ・キャプシーヌ通りにあるナダール・スタジオがある。1862(文久元)年および1864(元治元)年、このスタジオに日本人が訪れた。遣欧使節の面々である。ナダールは19世紀を代表する肖像写真家であり、スタジオはサロンの様相を呈していたという。侍たちはナポレオンからの要請でこの写真館を訪れた。
これを遡ること10年、1854(嘉永7)年に同じパリのディスデリが、カメラに複数のレンズを装着し、原板の一部分の露光を繰り返すことで一枚の原板に複数の画像を定着する方法を考案した。この名刺判の普及によって、ポートレイトはさらに裾野を広げることになり、民衆は自らの肖像を手にしたのである。日本では、このような紙の写真のほか、ガラスを支持体としたガラス生取り写真(アンブロタイプ)が桐箱に入れられる体裁で広く普及し、明治20年代になるとコロタイプを中心とする写真印刷も広がりを見せる。これによって写真画像はさらに複数の人々の手に渡るようになり、元勲や志士といった時代のヒーローだけでなく、芸妓などのアイドルがポートレイトを媒介として定着するようになるのである。
といった具合。
江戸の文化に流入したポートレイト、伝統に則った西洋のポートレイト、西洋へ赴いた侍たちが現地で撮したポートレイト、そして技術革新によってマス化する流れ。
東京都写真美術館の収蔵作品を中心にオリジナルの写真から19世紀の息づかいを感じていただける構成にしたいと、現在鋭意準備中です。
ご期待ください。
さてさて、しばらくぶりのおいしいもの情報。
本日はちょっと郊外へお散歩、ヌーベルシノワ(フレンチ系の新しい中華料理?)のお店。国立インターから車で少し。前は団地で大通りに面しているわけでもなく、お店はとても小体。厨房がしっかり見えて席数も少ないのですが、休日とはいえ午後をずいぶん過ぎた時間にもかかわらず満席。ぎりぎりで待たずに入れた感じでした。
さっぱりおいしかった梅レタスチャーハン
絶品!ハチノスの煮込み
ご近所の方も多いのでしょうか、キッズもたくさん来店していました。ドアを開けるキッズに「あぶないよ!気をつけて!」とフライパンを振りながらも声をかけるシェフにぐっときました。
追伸:去る1月9日(土)函館圏文化芸術活用事業「文化と編纂」(PCサイト)にお招きいただき、名だたる方に混じってお話しさせて戴く機会を得ました。
当日は、雪がちらつく中にもかかわらず、多くの方にご来場いただきました。
この日のメインは、時代小説家の宇江佐真理さん。
とてもキュートな方で、いきなりファンになってしまいました。
以来、気がつけば20冊を超える勢いで宇江佐さんご本を拝読しています。平明で地に足のついた文体と調査の行き届いた考証、そして、なによりも人の情を本当に大切にされているのがよくわかります。江戸の人々の生活を身近に感じられる心の清涼剤。宇江佐文学、おすすめです。
古写真ブログ担当の三井です。
さて、本日は5月15日から開催予定の「侍と私」について。
東京都写真美術館のコレクションを中心としながら、明確なテーマを設定して行う展覧会。今回のテーマはポートレイトです。
しかも、単身像だけを取り上げます。
ポートレイトは本来、西洋のものです。西洋の肖像画の長い歴史から派生したのが肖像写真であることに異論はないでしょう。このように考えて、ポートレイトから初期写真を考えてみようと企画しました。
1839(天保10)年、フランスで誕生した最初の実用的写真方式ダゲレオタイプは、瞬く間に欧米社会へ広がった。1859(安政6)年の開国を皮切りに、この技術は日本へ本格的に渡る。少なくとも1861(文久元)年には日本人で写真師として営業した人物がいた。翌年には長崎の上野彦馬、横浜の下岡蓮杖が開業し、多くの弟子を育てていくことになる。彼らは皆、ポートレイトからその仕事をスタートしている。明治政府樹立へ向かう動乱期、侍たちは明日をも知れない我が身を家のために、あるいは妻子のために残そうと写場へ足を向けたのである。1872(明治5)年には、岩倉使節の求めに応じるかたちで今上天皇であった明治天皇と皇后の肖像写真が制作される。これは政府諸施設や高級官僚、諸外国の使節などに配布され、度重なる規制にもかかわらず複写写真が販売されたのである。このように日本のポートレイトは写真渡来と共に出発し、私から公へと引き上げられるように広がっていった。
これに対して、西洋では長く肖像画の伝統があった。しかし、これらは一握りの王侯貴族に許されたものである。1715(正徳5)年に始まるルイ15世時代の財務大臣であったエティエンヌ・ド・シルエットが切り絵による単純化された肖像画を好み、この流行によって肖像画に廉価な方向性が生まれる。さらに人物の影をトレースするフィジオノトラースが18世紀末にうまれた。19世紀中葉に生まれた写真は発表された当初は感度が低いためポートレイトの撮影は難しかったが、直後から改良発明が熱を帯び、感度が飛躍的に上昇した。これにより、肖像はブルジョアジーに開放され、多くの人々が自らの肖像を手にしようと写真館へ向かったのである。
このような写真館のひとつにパリ・キャプシーヌ通りにあるナダール・スタジオがある。1862(文久元)年および1864(元治元)年、このスタジオに日本人が訪れた。遣欧使節の面々である。ナダールは19世紀を代表する肖像写真家であり、スタジオはサロンの様相を呈していたという。侍たちはナポレオンからの要請でこの写真館を訪れた。
これを遡ること10年、1854(嘉永7)年に同じパリのディスデリが、カメラに複数のレンズを装着し、原板の一部分の露光を繰り返すことで一枚の原板に複数の画像を定着する方法を考案した。この名刺判の普及によって、ポートレイトはさらに裾野を広げることになり、民衆は自らの肖像を手にしたのである。日本では、このような紙の写真のほか、ガラスを支持体としたガラス生取り写真(アンブロタイプ)が桐箱に入れられる体裁で広く普及し、明治20年代になるとコロタイプを中心とする写真印刷も広がりを見せる。これによって写真画像はさらに複数の人々の手に渡るようになり、元勲や志士といった時代のヒーローだけでなく、芸妓などのアイドルがポートレイトを媒介として定着するようになるのである。
といった具合。
江戸の文化に流入したポートレイト、伝統に則った西洋のポートレイト、西洋へ赴いた侍たちが現地で撮したポートレイト、そして技術革新によってマス化する流れ。
東京都写真美術館の収蔵作品を中心にオリジナルの写真から19世紀の息づかいを感じていただける構成にしたいと、現在鋭意準備中です。
ご期待ください。
さてさて、しばらくぶりのおいしいもの情報。
本日はちょっと郊外へお散歩、ヌーベルシノワ(フレンチ系の新しい中華料理?)のお店。国立インターから車で少し。前は団地で大通りに面しているわけでもなく、お店はとても小体。厨房がしっかり見えて席数も少ないのですが、休日とはいえ午後をずいぶん過ぎた時間にもかかわらず満席。ぎりぎりで待たずに入れた感じでした。
さっぱりおいしかった梅レタスチャーハン
絶品!ハチノスの煮込み
ご近所の方も多いのでしょうか、キッズもたくさん来店していました。ドアを開けるキッズに「あぶないよ!気をつけて!」とフライパンを振りながらも声をかけるシェフにぐっときました。
追伸:去る1月9日(土)函館圏文化芸術活用事業「文化と編纂」(PCサイト)にお招きいただき、名だたる方に混じってお話しさせて戴く機会を得ました。
当日は、雪がちらつく中にもかかわらず、多くの方にご来場いただきました。
この日のメインは、時代小説家の宇江佐真理さん。
とてもキュートな方で、いきなりファンになってしまいました。
以来、気がつけば20冊を超える勢いで宇江佐さんご本を拝読しています。平明で地に足のついた文体と調査の行き届いた考証、そして、なによりも人の情を本当に大切にされているのがよくわかります。江戸の人々の生活を身近に感じられる心の清涼剤。宇江佐文学、おすすめです。
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